古都での回想(二回目-その1)

奈良・京都を旅した時の感想を記します。

行程
1.奈良編
  興福寺~奈良公園~春日大社~東大寺~薬師寺~唐招提寺~奈良町~元興寺

2.京都編
  宇治上神社~平等院鳳凰堂~萬福寺~東寺(教王護国寺)

 近鉄奈良線の快速急行に大阪の鶴橋で乗車した。電車は、そこから奈良県までノン・ストップだった。
約30分程度で近鉄奈良駅に到着した。奈良県が大阪のベッドタウンだとは聞いていたが、その理由がよく分かった。

さて、奈良に着いたものの、何の準備もしてこなかった私はとりあえず、街頭にある地図を見つけて、東大寺の方向へと歩いた。途中に興福寺が世界遺産だという看板があり、寄ってみるかの感覚で行った。

その興福寺の宝物殿は歴史の教科書に掲載されている仏像がたくさん設置されていた。特に、金剛力士像や阿修羅像など非常に感銘を受けた。やはり、国宝の仏像は、そうでないのと一味違うことを確信させられた。

興福寺では、3つの施設に入場するのに計1,000円もかかった。
仏像の素晴らしさからすると、その価値はあるかもしれない。されど、京都の寺みたいな繊細さは感じられなかった。
やはり、大陸から仏教が伝播したばかりの寺において、日本人好みの繊細・侘しさは発展しなかったのであろう。

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                     Photo.1 興福寺本堂

春日大社に行く途中に通った奈良公園は非常に広大であった。春日大社までの道筋は、確かに鹿が沢山いるし、公園の景色も素晴らしい。だが、春日大社まで遠すぎる。一人で歩くにはちょいと寂しかった。

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                       Photo.2 奈良公園のせせらぎ

春日大社も奈良公園と同様に非常に大きい。神殿の内部に入ったが、お寺と違って、装飾、展示物が質素である。仏教に比べるとどうしても宗教色が薄い。しかし、日本人が根本的に信じる宗教が神道なのだ。世界でも唯一、教義のないこの宗教がどうして根付いているのかと考える。それは、古来から日本人が無宗教に近かったからだろうと思う。自然に近づけば近づくほど、文言に支配されることが馬鹿らしく思える。きっと、その思想が明治以前の日本が科学を編み出せなかった理由であろし、泰平の世が300年間継続した理由でもあろう。

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                       Photo.3 春日大社本殿と木の共生

さて、奈良で最高の目玉商品である東大寺に行くことにした。
この道中の写真こそないものの非常に綺麗な森の景色が広がっていた。写真にこの風景を収めようとしたものの、撮った写真を再生すると、なぜか駄作、三流作品に化ける。いくら、デジカメが進化しても目で捉えた画像には勝てない。しかし、プロカメラマンの撮る写真は実物よりもはるかに出来がよい。その才能にただ驚嘆するか、それとも巧みな技巧で実物をよく映す技術を忌むべきか。相反する感情をどのように制御して、写真を鑑賞するかは難しいところである。

さて、東大寺は法華堂、ここには国宝級の仏像が十体ぐらいある。ここで、ガイドさんの説明を聞いたわけであります。ガイド曰く、入場料500円は非常に安いとのこと。なぜなら、美術館で国宝展などあった場合は、3倍の1,500円は要求されるとのこと。しかも、ここの仏像みたいな素晴らしいものは見れないとのこと。確かに、国宝があまり広くない空間にこれほどまであるのは珍しい。そう考えれば、必死に仕事で稼いだ30分の報酬も支払ってよいかなと思う。
 また、ガイドさん曰く、仏像は正座した信者の視点から一番美しく見えるように、短足らしい。確かに昔の信者さんは正座して見たであろうから納得できる理由だ。

そして、ついに奈良の大仏を見るために大仏殿へと向かった。異様に巨大な建物が目の前に迫る。木造建築でこれほどまで大きいのは始めてだ。現代では、復元できそうにない。まさに権力の象徴だと見たときは気づかない。ただ、その存在感に平伏すのみであった。

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                        Photo.4 東大寺 大仏殿

さて、内部にある奈良の大仏(盧舎那仏)も巨大だ。この仏像で使われた水銀のおかげで、平城京は公害を被り、遷都しなかればならなくなったという学説もあながち間違いではないかもしれない。
この仏像を建設した理由は、表向きは庶民の救済のためと記されている。しかし、本当に庶民を救済するのならば、田畑を開墾するなどしたほうが良い。結局は、天皇や東大寺の権威を高めるために製造されたのではないであろうか。されど、権力者がいなければ、観光出来るような遺産は残らない。その遺産を眺め、自分たちの歴史はただ素晴らしいと絶賛する人は、やはり庶民の地位しか務まらないのかもしれない。

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                        Photo.5 盧舎那仏

薬師寺までは、バスに乗った。当然ながら英語の案内などはないどころか、日本人でもバス路線が分かりにくい。世界的に見ても、素晴らしい観光地を有しているのに、なぜ観光案内などがこうもお粗末なのであろうか。
もっと、観光客を集めて地域を活性化させるために外人にも分かる観光システムを構築すべきであろう。

薬師寺は、私にとり古い寺とは思えなかった。ひとえに、東大寺や興福寺のように立派な仏像が少なかったことが原因であろう。また、平山郁夫が描いた大唐西域壁画(シルクロードを旅する玄奘(三蔵法師)の絵)は駄作の様に思えた。近頃、知った学説なのだがシルクロードという交易路はどうも存在しなかったらしい。なぜなら、その当時の砂漠は盗賊だらけであり、とてもキャラバンが自由に往来できなかったらしい。また、駱駝の輸送力などたがが知れており、大量輸送には向かなかったらしいからだ。本当のシルクロードは、アラビア海を通る海運だったらしい。確かに、船と駱駝では輸送量の桁が異なる。さらに、現代においても中央アジアにおける交易は盛んでない。シルクロードが砂漠にある説を唱えているNHKは、超が付く親中派である。中国からすれば、古来シルクロードが発展していたとなれば、現在のウイグル族の支配も正当化できるし、中央アジアでの覇権拡大も望める。
結局は、歴史は現在の権力者が都合よく、物事を主張するために改竄されるものだ。歴史は、真実でなく、過去と現在の権力者の正当化に過ぎないことを心すべきだ。

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                      Photo.6 薬師寺本堂と五重の塔

唐招提寺は、本堂が改装中で見学できず非常に残念であった。

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                     Photo.7 唐招提寺 鑑真の墓への参道

奈良町は、奈良市の中心街に残る古い街である。観光地は、特にないが、散策するにはもってこいだった。

さて、奈良を思う存分探索したわけだが、やはり京都と違う点がいくつも見受けられた。
① お寺が仏像メインである
② お寺が権威を象徴するかのように壮大である
③ 繊細さ・わび・さびがあまり感じられない

奈良は、大陸の影響をモロに受けている。まだ、そこに日本列島で生きた人々の息吹は少ししか感じられない。だが、奈良がなければ、今の日本文化が発達しなかったであろう。

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