京都での回想(一回目)

関西に住んで3ヶ月した頃、急に京都に行こうと思った。
その理由は、JR西日本の新快速を利用すると、全行程を含めて京都駅まで2時間で到着することが分かったからだ。
ということで、京都に行くことにした。

1回目の京都観光はメジャーどころを回った。

1日目 清水寺~祇園~八坂神社~建仁寺~知恩院~銀閣寺~北野天満宮
     ~金閣寺~仁和寺~龍安寺~天龍寺

2日目 三十三間堂~智積院~京都国立博物館~二条城

1回目の時は、デジカメを購入していなかったので写真が残っていない。非常に無念。

(清水寺)
清水寺は、期待していたほどの感動は得られなかった。
テレビで映されすぎるものは、やはり感動の度合いが下がると実感した。
あの清水の舞台に立った瞬間、テレビで写っている場所としか認識できなかったからだ。
ちょいと、ここは己の認識力に残念。
清水寺で一番良かったのは、奥の方に佇む3重の塔から見る清水の舞台。
新緑と舞台を支える木組みがはっきり見え、自然に逆らう木の枠組みと寺を囲む緑が鮮やだった。

(祇園)
舞妓さんで有名な祇園は、やはり一般人には敷居の高そうな場所だと直ぐに分かった。
町並みが非常に洗礼されている。本物の京都の街に来たような感覚を覚えた。
でも、この感覚は誤りだ。現に、大半の京都の人は、古い家と微妙な高さのマンションが混在する
街に住んでいるのだから。理想的な街に憧れる私の思いこそが、祇園が京都らしいと錯覚させるの
であろう。

(建仁寺)
観光客がほとんどいなかった。これこそが理想的な京都観光である。どんな名所であろうとも、
アカの他人がいれば、興ざめてしまう。なぜなら、観光客の騒々しい声が思いに耽っている私を
現実へと否応なく引き戻す。しかし、あまりにも人がいなければ、かえって寂しい気持ちが湧き上がる。
やはり、人は他者との共感なしに感動を得られないらしい。問題は、その度合いだ。
私が見学したときの建仁寺は、その度合いが釣り合っており、とても心地よい観光が出来た。
特に、天井に描かれた龍が印象に残った。この作品は、平成の世に書かれたものらしいが、その
出来栄えは、古都京都の古い美術品と比べて遜色なかった。現代においても、このような作品を
創造できる人がいる事に感動した。

(知恩院)
巨大な山門が目の前に広がった。これまで私が見た木造建築で一番巨大なものであった。
近くにいた外人の観光客も思わずデジカメでこの壮大は山門を撮っていた。
京都で壮大さを感じたいときには、この山門を訪れることをお勧めします。
この寺は、現代でも生きている寺であった。本堂に入れば、信者らしき人々がお経を上げていた。
信仰深い人々もいるものだと思い、本堂の裏を歩いていると、フェラーリが寺の駐車場に止まっていた。
もし、坊さんがこのような車に乗っていたら非常に残念だ。一般信者だとしても、興醒めるものである。
お寺の裏を見た感じがして、少々困惑気味な後味が残った。
されど、数百円でこのお寺の日本庭園を独り占めできたのだから、良しとしよう。

(銀閣寺)
京都で一番良かった寺はと聞かれたら、絶対に銀閣寺と私はいう。
苔に覆われた傾斜のついた庭園の緑が今まで見た風景の中で一番綺麗であった。よくぞ、人の手で
細やかな四季の風景を創り出せるものだなと思った。
自然と思いつつ、自然を超えた人間の鑑賞の心を擽ったものだ。これで、銀閣が工事中で無ければ
良かったのであるが。銀閣の復元工事が終わったら、また銀閣寺を訪れたい。

(北野天満宮)
神社自体には、あまり感激できなかった。どこにでもある大きな神社といった感じがしたからだ。
だけど、宝物館のガイドさんさんから展示品の由来を聞いたら、その感じも変わった。
かの有名な武将が奉納した刀、絵馬の説明を聞くと、抽象的な過去の歴史が具現化され気がした。
特に印象に残ったのは、怒りに満ちた十一体の像である。これらの像は、本殿を調査中、1000年
ぶりに発見され、国の重要文化財にも指定されたものらしい。
この像が製作された理由は、京に跋扈する悪霊退散だったのではないかとガイドさんは説明された。
確かに悪霊を退散できそうな恐ろしい形相であった。しかし、その形相は、いかなる仏像に関連ない
ような気がした。宗教的な意味よりも、本当に悪霊退散を願ったモノであると感じたとともに、その像
自体が悪霊と化している様な気がした。

(金閣寺)
金色に輝く金閣は確かに素晴らしい。素晴らしいの一言である。
ただ、何かが足りない。何かが。
昔、金閣寺を放火したお坊さんの動機は、金閣寺が美しかったかららしい。
でも、本当にそうなのか疑問に思えてくる。
まあ、放火魔の気持ちなど絶対に察することは出来ないのだから、今更何を言ってもしょうがない。
庭園の出来栄えもいまいちだ。周りが山に囲まれた、この寺は銀閣よりも、借景という意味では
勝てると思うのだが。
やはり、あの日本の寺にアンバランスな金色がすべての調和を破壊している。
勘合貿易を始め、明に朝貢した足利義満が原因かなと思った。

(仁和寺)
五重塔が傑作だ。だが、いまいち、それが有効的に活用されていない。やはり、観光地といえども、
遊園地と異なり、アトラクションとしてでなく、仏舎利(釈迦の遺骨)としての由縁があるからであろう。

(龍安寺)
あの有名な方丈庭園(石庭)に期待していた。だが、残念ながら、その期待は見事に裏切られた。
大勢の人々が石庭を見渡す縁側に足を投げ出し、座っている。私には、その足が気になってしょうが
ない。どう頑張っても、庭が現す世界観を受け入れられない。ただの石が転がっているとしか認識でき
なかった。
 美しいものが既に己の中に存在するはずなのに、それを風景をきっかけに見出せないのは能力が足
りないからだ。しかし、今回は、その段階に入る前で挫折した。なぜだろう、私が人間社会にどっぷりと
身を浸し、身動きが取れないからであろうか。

(天龍寺)
天龍寺の庭は非常に有名らしい。確かに、これまでのお寺と規模が違う。
だが、私にはその庭が殺風景に見えた。とても広大で勇壮であり、禅のもつ無常の雰囲気を醸し出し
ている。だけど、私にはちょいと好きになれない雰囲気がある。池が大きすぎるからというわけでもない。
ただ、なんとなくという、現代の若者が頂く簡単な気持ちからである(老人から批判されそう)。

(三十三間堂)
この寺を訪れたときは、仏像について未熟であった。よって、あの数々の名品の前をどんどん通り過ぎて
いった。今に思えば、非常にアホなことをした。
仏様以外は、ほとんど怒りを極限まで表現している。なのに、なぜか不快感は湧き上がらない。非常に
不思議だ。それらの像は、仏教というよりもヒンドゥー教に由来するもとだという。あの評判の悪いカースト
を生み出した宗教だ。また、仏教自体、渡来人が原住民(もともと日本列島に住んできた人々)を支配する
ために導入したという説もある。確かに、三十三間堂の怖い面をした像を見れば、古の人々が恐怖に
慄き、仏教への信仰を深める可能性もあるだろう。だが、私には、それらの像が怖く見えず、むしろ愛着を
持てた。これは、私が仏教に支配されていない現代に居ることが原因であろうか。
それとも、昔の人々とは異なり、科学という知識を有している差なのであろうか。
いずれにしても、これらの像が単に権力者の支配に使用されたと単純に断ずることは出来ない。
単に、社会や個人がその像をどう受け止めるかが、重要な要素だと思う。

(智積院)
この寺にある国宝の屏風が心に残った。色褪せた屏風からは、侘しく、寂しい感じが伝わってきた。
その世界の中、画中の花びらだけ溌溂感へと寄与する。
やっぱり、日本絵画は少々侘しすぎる。もうちょっと、壮大さ、喜びが必要だ。
だから、私は近代西洋絵画の方が好きだ。

(二条城)
寺ばかりの京都で城である。当然ながら、とてつもなくテンションが上がる。
期待を抱き、中に入る。だが、目に入るのは畳と鴬張りの廊下と松が描かれた襖である。
天下の徳川家は、なぜ松ばかりに拘ったのか理由が分からない。
あきらかに世界観が物凄い狭い方向へと走らざる終えない。
徳川慶喜が体制奉還を宣言した部屋も松だ。
松以外の襖が二条城にあれば外国勢力に操られた薩長の明治維新も実現しなかったかも
しれない。

以上、長々と感想を書いたわけですが、京都観光の際には参考にしないで下さい。
では、今日は夜の10時からの三交代勤務頑張ります!

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この記事へのコメント

ベコ
2009年02月17日 00:29
あいかわらず長大作やなぁ

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